GWロスには城巡り! ソバだけじゃなかった深大寺。城址を歩く |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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GWロスには城巡り! ソバだけじゃなかった深大寺。城址を歩く

首都圏発 戦国の城の歩き方

姫路城、彦根城、竹田城などなど、行きたい城はどこも遠いと思っていかた、じつは首都圏にも城マニアもうならす戦国の城がたくさんあります。『首都圏発 戦国の城の歩きかた』から東京都内のすごい城を紹介します。ソバが有名な深大寺も城があった。GW後の週末、疲れた心と体を癒やしに出かけてみては?

 東京都調布市にある深大寺城は、中心部が公園になっているので、いつ訪れても戦国の城歩きを楽しめるし、交通の便もよい。占地や縄張りもわかりやすいので、城歩きの入門にもってこいだ。

 京王線の調布駅前からたくさん出ている深大寺行きのバスに乗って、終点で降りる。バス停のまわりには、おみやげ物屋やソバ屋が建ち並んでいて、観光用に復元された水車もある。深大寺といえばソバが名物だが、おいしいソバのあるところには、おいしい湧き水が流れているものである。

 さて、バス停から東に少し歩くと、深大寺水生植物園の入口がある。入るとすぐにデッキがあるので、ちょっと景色を眺めてみよう。目の前の小高い丘が、深大寺城の主郭だ。 

 そして、手前に広がっている水生植物園は、湿地だ。ほら、さっきバス停の近くに水車があったでしょう? のちに名物のソバを生むことになった豊かな湧き水が、この湿地の水源になっていたわけだ。主郭の裏手が湿地、ということを頭の片隅に入れておこう。

 トイレの横から雑木林の中の坂道を登ると、原っぱのような広い場所に出る。ここが二ノ曲輪だ。

 まずは、主郭にお邪魔してみよう。目の前に土橋があって、土橋を渡ると主郭の虎口がある。土橋の上に立つと、両側が空堀になっているのがわかるはずだ。

▲城跡の主要部は公園になっている。向こうに土塁が見えるが、公園を散策する人たちのほとんどは、ここが城跡だと気づいていない様子。

今よりもっともっと深かった空堀

 以前にこの空堀を発掘調査していたとき、現場を見学させてもらったことがある。土の城では、空堀は断面がV字形の薬研堀にすることが多いのだが、この薬研堀はV字形というよりロート状と表現したほうがよいくらい、堀底がギュッと狭くなる形をしていた。

 空堀は、発掘調査が終わったあとで、危なくないように埋め戻されているから、いま見ると別にどうということはない。でも、もし城攻めのときにこんな堀に落ちたら、たちまち身動きがとれなくなって、命はないだろう。 

 おっと、空堀の外側にも低い土塁があるのを、見落とさないでほしい。この低い土塁があるおかげで、二ノ曲輪の中からは、主郭を囲む空堀の様子がわからないようになっている。 

 主郭を一気に攻め落とそうと、二ノ曲輪から突撃してくると、外側の低い土塁を乗り越えようとした瞬間、蟻地獄のような深い薬研堀が、足元にバックリと口を開けている、ということになる。

 空堀を越えようとすると討ち死にしてしまうので、土橋を渡って、虎口から主郭に入ってみる。まあ、この虎口だって、本当は木戸が建っていたから、簡単には入れてもらえなかっただろうが。

▲主郭をめぐる空堀。かなり埋まっているが、もともとは鋭角に切り込む薬研堀だった。左手が主郭。

真ん中を突っ切るのはNG! 正しい曲輪の歩きかた

 主郭の中に入ったら、あたりをぐるっと見まわしてみよう。「囲まれ感」があるでしょう? 草木が茂っていて見えにくいところもあるけれど、この主郭は土塁でぐるっと囲んである。主郭は、城内の中心になる一番大事な場所だから、しっかりと守りを固めているわけだ。

 土塁を眺めながら、主郭の中を歩いてみよう。ここが、城歩きのポイントだ。城の見方がわからない人は、説明板を読んだら、そのまま曲輪の中を突っ切ってしまう。そして、「ふ〜ん、ここが深大寺城か。何だか、よくわからないや」といって、帰ることになる。

 でも、思い出してほしい。城とは敵を防ぐための施設。空堀とか土塁のような敵を防ぐための工夫は当然、曲輪のぐるりにある。だから、曲輪のまん中を突っ切るような歩き方をしていたら、いつまでたっても城がわかるようにならない。

 冬場なら下草が枯れて木の葉も落ちているので、土塁の上を歩いてみるとよい。土塁の上に登ってみると、主郭の北西端がぐっとせり出して、櫓台になっているのがわかる。ここに弓の達者な兵を置いておけば、空堀を越えようとする敵兵を狙い撃ちにできることがわかるだろう。

 土塁に沿って、主郭の奥の方(南側)まで行ってみる。こちらの土塁は、櫓台のところより低い。その低い土塁が一箇所切れて、虎口になっている。ちょっとヤブっぽいけれど、思い切って入ってみよう。虎口を出たところに、ちょっとしたスペースがある。ここでのポイントは、縁まで行って、ヤブをすかして下を見ること。足元が、崖のような急斜面になって落ちこんでいる。人工の急斜面、つまり切岸だ。そして、下には空堀が見えるはずだ。

 二ノ曲輪に戻ると、最初に来た時、原っぱに見えていた広場が、実は切岸や空堀や土塁に囲まれた、城の曲輪だということが、実感できるようになっていると思う。

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西股 総生

にしまた ふさお

1961 年、北海道生まれ。学習院大学文学部史学科卒業。同大学院史学科専攻・博士課程前期課程卒業。目黒区教育委員会嘱託、三鷹市遺跡調査委員会、㈱武蔵文化財 研究所を経て現在フリー・ライター。城館史料学会、中世城郭研究会、日本考古学協会会員。著書に『戦国の軍隊』『「城取り」 の軍事学』『土の城指南』(以上、学研パブリッシング)、共著に『今日から歩ける! 超入門 山城へGO!』(学研バブリッシング)、『神奈川県中世城郭図鑑』(戎光祥出版)、他城郭・戦国関係の雑誌記事・論考、調査報告書など多数執筆。2016 年大河ドラマ『真田丸』では戦国軍事考証を務める。


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  • 2017.04.21